モリケイの誰かのための話

24歳の等身大エッセイです。

心理士さんの話1

 
 
 
 
休職する前、メンタルクリニックとは別に
職場の“健康管理室”というところに通っていた。
臨床心理士さんが看護師のメンタルケアをするところだ。
 
初めて行った時はとても緊張した。
“またどうせわかってもらえない。”
自然とそんな風にも思っていた。
 
でも今まで出会った人の中で初めて、
私自身が言葉にできないことを見透かすように代弁してくれた。
当時の病棟師長はとてもポジティブですごく話を聞いてくれる
男性の師長さんだった。
 
でもなかなか私のギブアップが言葉にできず
伝わりにくいところもあった。
自分的にはギブアップでも、みんなの前では
振る舞うことができるため
「そんな風にみえなかった。」と言われてしまう。
そうじゃないんだよ〜〜〜〜〜〜!!!(笑)
 
 
学生の時にも「ギブアップがわからない。」と
当時の精神看護のインストラクターに泣いて訴えたことがある。
「私は自分に厳しい。どこまでも無理をしてしまう。」と。
 
 
心理士さんの話に戻るが、
その私の状態をきれいに言葉にしてくれた。
「モリケイさんは今、休まなきゃだめよ。
脳が疲れてしまっているの。自分ではできると思うかもしれないけど、
みんなの前ではできちゃうんだよね。
だからギリギリになるまでしっかり働けてたと思います。
今は休んでいいよ。」
まさにこれだった。
みんなの前ではないエネルギーを絞り出して取り繕う。
だからみんなには疲れを見せることができない。
何もかも自分一人で頑張ってしまう。
 
それが今まで言葉にできなかった。
言葉にすると自分が弱いみたいで。
「モリケイは強いよね!」とか
「長女なんだからしっかりしなさい。」とか
「ほんと頼りになる!」とか
「お母さんみたい!」とか。
人生で死ぬほど言われてきた言葉たち。
この言葉たちが私を強くしたのだけれど、
その反面この言葉で私は居場所をなくした。
心をどこに置いていいかわからなかった。
 
強くて頼り甲斐があって母みたいな私が誇りだった。
だから弱くなるとだめな気がして。
だから毎回溜まり溜まって泣くようになった。
 
今回は泣くだけじゃなくて脳を休めることをしなくてはならなくなった。
積み重ねで脳を相当疲れさせてしまった。
休養を取る難しさと必要性をひしひしと感じる。