モリケイの誰かのための話

24歳の等身大エッセイです。

大好きだったパパ

 

 

 

私の父は3年前にパニック障害と診断された。

まあ、今になればあれもこれも発作のひとつだったのかなと思う節はある。

 

幼い頃、母が出稼ぎに行き父が家にいた。

私は保育園入園前であり父が面倒を見てくれていた。

でも、怒られると決まって大きな声で怒鳴られた。

押し入れに閉じ込められたこともある。

 

今思えばなぜ父はあのとき仕事をしていなかったのだろうと疑問が残る。

 

小さい頃はパパ信者だった。

父の言うことは絶対。父から学ぶことは全て正しい。

もちろん私も気づけばヒステリーっぽくなっていた。

(気づいたのは高校生の時だった。)

 

父に怒鳴られないように生活をする。

父の気が済むまで怒鳴られる。常に受け身。

癇癪を起こすことも度々。

怒鳴る男の人は大っ嫌いになった。

 

父はよく仕事を休んでいた。

いわゆる“ずる休み”。

どんな理由かはその時はわからなかったが仕事に対して

拒否反応が出ていたんだと思う。

段々と嘔吐するようになった。

 

仕事をしない父に対して、収入が減り母はイライラするようになる。

昔からお金がないと家はピリピリする。

 

3年前の冬、父方のおばあちゃんが自宅の階段で転落した。

一命は取り留めたものの、半身不随、構音障害で寝たきりに。

何より全く話せなくなってしまったのがショックだった。

叔父はとても凹んでいた。父は最初、凹むそぶりを見せないようにしていたが

だんだん周りがわかるように凹んだ様子を見せていた。

 

そして3年前の春。

私は関東に就職し、母方のおじいちゃんの家で送別会を開いてくれた。

凹む父を見たくない、片付けができないと怒鳴られている母を見たくない、

処女と馬鹿にしてくる男友達のもとにいたくない、こんな気持ちわかってもらえない。

そう思い決めた関東行き。

 

父の酒は進む。

嫌な感じがした。

父は酔うと暴言を吐く。しかも覚えていない。

常習犯すぎる。

母の兄(父の義理兄)と酒組み合わす。

話す声が大きくなる。

嫌な感じがする。

 

母の元に行き「止めて。絶対飲み過ぎ。」と言うが

母は「好きにさせときな。」と言う。

次の瞬間、怒鳴り声が響く。

(あ、ほらね。最悪。)

義理兄と父の酔っぱらい喧嘩。

最悪だった。

 

大事なじいちゃんの目の前で。

本当に最悪だった。

従兄弟の結婚式も控えていたのに。

二度と酒を飲んで欲しくないと思った。

「やめて!」

そんな声も響かない。

父の頭を鷲掴みし「うるさい!やめて!」と言う。

あんなに力で抵抗できない父は初めて見た。

そのとき「お前は俺の娘じゃねえ。」そう言われた。

酔っ払っていたとしてもショックだ。

 

そのあと父は嘔吐した。母方のじいちゃんの家なのに。

そのあと深く眠りについて置いて帰った。

何もかも最悪だった。

しばらく口は聞かず、そのまま関東へ引っ越した。

 

あとからあの時はパニックの発作だったと聞いた。

今でもどこからどこまでが?と思う。

割と根に持っている。

 

父は私が関東へ就職することを直接伝えてくれなかったと根に持っているらしい。

今でも「あの時俺には言わなかった。」と言う。

耳にタコができる。

 

その後も関東から帰省すると祖母の状態が変わらないことや

仕事の対人ストレスで私に怒ってくるようになった。

「お金かけて帰らなきゃよかった。」と言うこともしばしば。

 

大好きだったパパが苦手になった。