モリケイの誰かのための話

24歳の等身大エッセイです。

おばあちゃん(2号)の話

 

 

 

母方のおばあちゃんの話をします。

母方のおばあちゃんは10年前に亡くなりました。

私の誕生日の数日前でした。

 

癌発覚から3週間ほどで亡くなりました。

病名発覚の1ヶ月前には大好きな温泉旅行にも行っていました。

 

 「検査入院をする。」と聞いていた私は

当たり前に帰ってくると思っていたのです。

今思えば入院準備をしている時のばあちゃんの顔は

少し浮かない様子だったかもしれません。

 

入院してから、すごいスピードで弱っていくばあちゃん。

ベッドからも起き上がれなくなりました。

それでもお見舞いに行くたびに

「怪我するんでないよ〜。」と毎回声をかけてくれました。

 

“ばあちゃんが死んじゃう”という事実を聞いた日は

家族みんなで泣いて次の日の学校では朝から

泣きじゃくっていました。

 

気づけば膀胱留置カテーテルが挿入され、

全身が浮腫み、黄疸が出ていました。

 

その頃私は美容師になるか看護師になるか迷っていました。

看護師も考えてると両親に伝えると

両親は喜んでいましたが、

実際に自分がやりたいのはどっちだろうと悩みました。

 

そして7月某日。

朝5じ頃にじいちゃんから電話が入りました。

「ばあちゃんが重篤になった。」と。

 

急いで家族全員で病院に向かいます。

初めて人の死を目前にするので

心臓はバクバクでした。

そしていつもだったら走ったりしない母が

ばあちゃんのもとへ一目散に走るのです。

とても早くて追いつけなくなりそうになったのを覚えています。

病室に着くと酸素マスクをしているばあちゃん。

その姿を見て「死んじゃうんだ。」と痛感しました。

だんだん声が出なくなるばあちゃん。

最期の力を振り絞るように“背中が痛い”ということを

伝えてくれました。

母は泣きながらばあちゃんの背中をさすり

「親不孝な娘でごめんね、お母さん。」と何度も言っていました。

 

じいちゃんも時々ハンカチで目を拭きながら

ずっとばあちゃんの元にいました。

 

心電図が何度かフラットになりアラームが鳴ります。

血圧はガクンと30台まで落ちます。

ばあちゃんの目はうつろでした。

みんなが声をかけます。

耳は最期まで聞こえるのできっと声は届いたと思います。

 

その時私はばあちゃんに

「絶対看護師になるから!!」と叫びました。

 

そして静かに目を閉じたのです。

小さい頃から面倒を見てくれた大好きなばあちゃんでした。