モリケイの誰かのための話

24歳の等身大エッセイです。

SNSの話

 

 

 

入院する前、インスタグラムのストーリーズで

“明日からSNS使いません!何かあったら電話ください!”と残し

入院手続きをした。

 

最初はSNS断食に慣れなかったが1日目で少し心がスッキリした感じがあった。

なんでだろうと考えたとき、意外と“いいねの数”とか“誰が私のストーリーズを見ているか”とか

無意識に気にしていて気がつかないうちにそれが小さなストレスというか

負担というかそんな感じになっていたのかもしれない。

 

でも、入院生活が暇すぎてストーリーズで質問募集した。

するとこんな内容が私の元へ届いた。

「浮気する人ってなおりませんか?」

私は以下のように回答した。

“治る人は治ると思う。でも自分に意地悪してくる人に優しくする必要はない。

浮気されたことも体験、自分の関わる人には同じような思いはさせないって考える。”

とストーリーズに載せた。

 

すると、

「文から見て浮気したことありそう…」

「メンタルやられてるのにカウンセラー?」

「情緒が心配」

「浮気どうとかって自分の体験正当化しているようにしか見えないwwww」

と質問箱に意見が来た。

 

…うるせえ。

いやいや、こっちがメンタル死んでるって分かってて

こんなん送ってくるあなた様の神経がわかんねえ!!!!!

ムカついてインスタグラムのアカウントは消去、Twitterはログアウト、

ラインはアカウントを作り直した。

SNSの世界が傷つけ合うようになったのはどうしてなんだろう。

これが誹謗中傷に当たるか分からないが、

SNSでの誹謗中傷が日常生活音のようになってはいけない。

 

 

あ、ちなみに私は自分のメンタルが崩れるのをきっかけに

上級心理カウンセラーの資格を勉強中です。

メンタル心理カウンセラーの資格は先月合格しました💮

 

あと、浮気はしたこともされたこともありません。

 

 

 

 

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処女の話

 

 

 

これを読んでくださっている年齢層はわからないですが、

あなたは何歳で処女、童貞ではなくなったでしょうか。

 

いきなりぶっ込んでごめんなさい(笑)

私は処女を卒業できず、男友達に馬鹿にされ続け

自律神経失調症になりました。

今でも馬鹿にしてきた男子たちには会いたいと思いません。

 

20を超えても処女だった理由。

それは、成長期に強迫性障害になり汚染恐怖があったためです。

初めて聞く言葉に???となる人も多いかとおもいます。

まず、思春期(小学校高学年頃〜高校生頃まで)にカラダの成長があったかと思います。

私はそれが“生理的に無理”だったのです。

陰毛が生えること、胸が膨らむこと、特にこの二つが受け入れられませんでした。

「大人になること」は素敵なことなのに

私の頭は理解するまでにとっても時間がかかりました。

そのためひとりで悩みすぎてしまいます。

誰にも相談ができずに大学生になります。

(大学生の時の話はまた改めて。)

 

自分の陰毛に触れたものが自分に触れるとその部分を洗い続けます。

私は手洗いを10分に1回くらいのペースでしていました。

本当に辛かったです。

私自身、辛いのはもちろんですがそれを見ていて

「やめなさい。手荒れるから。」しか言えない家族も

同じくらいに辛いのです。

 

一番困ったのはトイレでした。

まず、学校でトイレはしない。これは私の中で絶対でした。

下着を膝まで下げれば足全てを洗いたくなるのです。

なので尿意は全て我慢し家に急いで帰りトイレに走ります。

これまた辛いのです。

水はできるだけ飲みたくないし、部活なんて入部しただけで

全然行けずすぐに幽霊部員扱いです。

のちに退部しました。

 

家で漏らしてしまうこともありました。

13歳くらいの女の子がトイレまで走って行けたのに、

制服を脱ぐのに手こずって漏らしてしまうのです。

恥ずかしい、情けない、辛い。

母は何もいわず片付けてくれました。

 

そんなこんなで彼氏はできますが、体液に触れたときには死にたくなるほどなので

22歳まで処女でした。

処女であることを恥じる必要は無いと思います。

処女で死ぬわけでもないですし。

セックスして死にたくなるくらいなら処女でいい。

 

“普通”処女はありえなくね。

何回も言われてきた言葉です。

“普通”ってなんでしょうか。

人にはいろいろな理由があると思うんです。

その裏側も知らずに表面の事実を自分の基準のふるいにかけて

馬鹿にするのは相手に失礼です。

“いじり”と“いじめ”は紙一重だと思います。

いじられている相手が辛いと感じたらいじめになると思います。

 

ひとりで悩んでいる方は“理解してくれる相手”を探し

少しでも楽になる方向を選んで欲しいです。

 

 

 

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母の話

 
 
 
 
母は片付けができない。
それに対して私が小さい頃から父は怒鳴ることが何度もあった。家中のものを捨てることもあった。
最近も家の汚さで喧嘩をしていた。今は妹に片付けを頼んでいると聞いていた。
昨日、食器洗いをしていて母が今月から新しい仕事についたから少しでも家事の時間を短くできるように食洗機を使えばいいと思った。食洗機の置いてる周りにはゴミがあった。片付けてスッキリさせようと思って妹と片付けた。
母の職場に迎えに行き、家に着いたら「あれ捨てたの?」「これ捨てたの?」とだんだん怒っているのがわかった。
冷蔵庫や食器棚の扉をバンッと閉めていて音が気になった。
 
父が帰ってきて雰囲気を察した。
私は何故か悔しくて涙がたくさん出て、また過呼吸になりそうになった。イライラして自分の皮膚をつねる。
母の元に行き「死にたいんだけど。」と言った。
「みんな色々あるのにどうしてそうなるわけ?なんで死にたいになるわけ?」と強く言う。
父が「待て待て。片付けられて怒ってるのか?まずは片付けてくれてありがとうじゃないの?」と言う。
 
年々、両親の仲が希薄化するのが目に見えていた。
見ていられなかった。辛かった。なんども喧嘩をしていて怒鳴り合うのが見ていられなかった。
友達にも処女っていじられて辛かった。
だから関東に逃げた。
 
実家じゃ療養できないと思った。
でも関東に戻って1人では生きていけない。
今は誰かが居ないと生きていけない。
だから入院したい。
看護師に戻りたいから入院したい。
早く寛解したい。
2ヶ月近く休んでるはずなのに何も改善しない。
辛い。
 
 
 
これは先月初めに書いた内容です。
相当辛かったと思います。
関東での生活もダメ、実家もダメとなると
私はどこにいればいいのか全くわからなくなり
誰を頼っていいかわかんなくなってしまったのです。
実家は北海道ですが、22年間住んでいた北海道でも
関東から北海道に帰ってくる、北海道に住み直す
その環境の変化を受け入れるのにも
思ったよりも時間がかかりました。
 
 
 療養するために帰ってきたはずの北海道。
心はざわざわ、そわそわ落ち着きませんでした。
それは実家が合わないというよりも
私には両親と距離を取った関係、
ひとり暮らしの方が合っていたと知ることができました。
 
 
薬も迷走し約2年。
休職している間にどうしても薬を確立させたかったので
現在はストレスケア病棟というところに入院しています。
 
 
 
 
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障がいの話

 

 

 

私のことを男性と思っても、女性と思っても構わない。

まあ、追々性別はわかっていくのだが。

 

 

“中性的”なひとをあなたはどう思うのだろうか。

私は数年前まで偏見があった。

同性が愛し合うということが想像できず、未知数であった。

 

だが、YouTubeを通して考え方は変わった。

男性に性転換した方が赤裸々に今までの苦悩などを話していた。

素直にすごいと思った。

 

日本は精神疾患患者やLGBT🏳️‍🌈に対する考えや偏見などが根付いている印象があり、後進国である。

それが私はとても嫌だ。

障害がある人に対し白い目で見る人間が嫌いだ。

 

私の叔父には知的障がいがある。

小さい頃は“障がい”がわからずなんとなく周りと違う感じはわかっていた。

物心ついた頃にはなんとなく理解し始めた。

この頃には強迫性障害による汚染恐怖がありそれも私の人生の邪魔をする。

 

出生前診断”をご存じですか?

その名の通り出産前に羊水に穿刺し

羊水から胎児に異常がないか検査をできる。

 

大学受験を控え、小論文の練習をしていたときに

目の当たりにした問題だった。

検査をすることでネガティブなことはなんだろうか。

母に相談した。

 

「もし、障がいがあるとわかって生まれることを諦めてしまったら

今生きている障がいのある子たちが否定されているというか

今生きてる人たちが生きにくくなるんじゃないかな。」

 

そう言われた。

 

 

 

そんなことを今まで生きていて考えたことがなかった。

母体や胎児のことしか私には考えられなかった。

今生きている障がいのある人たちのことを考えたことがなかった。

初めて母のようになりたいと思った。

 

その思いが後々私を追い詰めてしまうことになるとは思わなかった。

 

 

 

 

 

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人生最大のインシデント

 
 
みんなに白い目で見られているようなスッとした感覚。
みんなに置いていかれるようなポツンとした感覚。
それがたまらなく苦手だった。
 
掃除機の音、ドライヤーの音、足音…
どれも気になったことがないのに
だんだんと他人の生活音がとても気になる。
そしてイライラになる。
“こんなに気になったことないのに。”
“なんで気になるのかなあ。”
“うるさいなあ。”
自分にも他人にもイライラ、イライラ。
やり場がなくなって音のしない場所へ逃げる。
 
 
休もうと思って目を瞑る。
頭が痛い。ズキズキする。
だんだんとふわふわする感覚に陥る。
頭がぐるぐるする。
 
 
悪夢、寝汗、動悸。
寝ても寝ても休まらない。寝た気がしない。
親に「離婚して!」と叫ぶ夢。
職場がクビになる夢。
患者の採血がめまいで出来ない夢。
コロナで死ぬ夢。
声が出ない夢。
起きると寝汗と苦しさが残っている。
 
お風呂に入れればいい方。
湯船に浸かると息が切れ、動悸がする。
とても20代とは思えない。
「体力がないのかな。」
 
 
 
これが数ヶ月続けば日常生活に支障が出る。
仕事がうまく熟せなくなる。
看護師なので患者の命を守る職業であるため致命的である。
 
「ああ、なんかやばいかも。集中しなきゃ。」
そうは思うが精神面は叙々に身体的症状に変化する。
 
湿疹が出る。
眠れない。
背中が痛い。
動悸が気になる。
寝汗で起きる。

 

一番は胃瘻増設している患者に薬を経口摂取させてしまった。

患者に酷く怒られた。当たりまえだ。

患者の命を守るべき立場の私が何をしてしまったんだ、と思った。

次に日の出勤は怖くて怖くて仕方なかった。

自分が悪いのはわかっているがどういう風に誠意を表せばいいかわからなかった。

本当に申し訳なかった。

次の日に「昨日は言いすぎたよ。ごめんね。」と言われた。

ミスをしたのは自分なのに謝られてしまった。

 

今でも忘れるはずのない出来事だった。

ナースステーションに号泣しながら報告にに行った。

 

あの日、すごく自信をなくした。

私は看護師に向いていないかもしれない、と。

辞めなければならない、と。

私から“看護師”を無くしたら私には何が残るのだろうと。

 

 

 

 

 

 

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ブログを始める意味

 

 

自分の感じたことをそのまま書き残したいと思っていろいろなブログのサイトを試した。

なかなかしっくり来なくて“はてなブログ”にたどり着く。

ブログの内容はリアルすぎて悲しくなるような、誰かの気持ちが楽になるようなそんな赤裸々な等身大のエッセイのような感覚で読んでもらえれば幸いだ。

 

人は様々な体験をするがそれを全て共有、共感するのは難しいと思う。だからこそ内容によって話す相手を変えて構わないと私は思う。

女子特有の「私に言ってくれなかった。」みたいな嫉妬はフルシカトでモーマンタイ(無問題)だ。

 

この頃やっとテレビなどのメディアで取り上げられるようになった“ADHD”や“大人の発達障害”。

私はこう言った分野がもっととりあげられ、それらが個性と認められるまで看護師はやめられないと思う。

 

私は看護師3年目のぺーぺーナースだ。

とは言っても現在休職中で、3年目になってから一度も職場に足を踏み入れることができていない。

本当は今すぐにでも看護師に戻りたいと思うが今の病棟には当分戻れないと思う。なぜなら15年かけてぶっ壊れたからだ。15年間頑張りすぎた分、休まなければならない。

この話は追々していこうと思う。

もし、看護学生がこのブログに目を通することがあったならば、絶望しないでほしい。

うつ病」「自律神経失調症」「強迫性障害」を隠しながらも看護師になれたからだ。それに休職期間が長引くほどもっと成長して患者さんのサポートができる看護師になりたいと思えるからだ。

しかし、適度な休養は必要だ。休むことは文字に起こすのは簡単だが実際に療養するのは難しい。身をもって思う。

 

自分の24年間の人生を赤裸々に綴る。

誰のためでもないが誰かの目にとまり、誰かの安寧の力になれればそれでいい。誰かのために人生を捧げる。

そして文字に起こし整理をして自分のためになることも期待する。

 

 

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